塩の砂漠
「塩の砂漠?」
「えぇ、戦争中は海の潮が退いて出来た湖だったようですが、なんらかの原因によって干からびて、急速に付近の植物が汚染されて砂漠と化した場所です」
「ふむ……戦争の爪痕か。木々は燃え、動物も狩り、戦場はあまりにも荒れていた。環境に変化があってもおかしくはないが……」
「まだ戦争の影響とまでは決まっていません。というより、不可解な点が多くてこれが人為的な物なのか自然発生したものなのか、精霊たちでもわからないのだそうです」
「報告をみる限り、これはただの砂漠化ではなく『侵食』だとのことだが、調査に出たのは誰だ?」
「ハニータさんです。自然補佐監理局の……」
「む……生物学の専門家か。誇張抜きの緊急事態だな。その『侵食する塩』とやらの調査が必要か……。それで、場所はどの辺りだ」
「ブルギニオンの東部です。調査はある程度戦力が必要かもしれません。あそこはあまり好き好んで通る人は居ませんから……」
「あぁ、戦時中もあの辺りは傭兵の物資補給拠点……つまり武器の密輸の取引場だったな。……さすがにもう行われていないと思いたいが……」
「……まぁ、現状我々も自国に手一杯で触れていない土地というだけで、危険度の高さは紫電さん達に任せられる程生ぬるくないですね」
「うーむ、となると、聖騎士団に頼る他ないか」
「乗り気じゃなさそうですね、その顔は……」
「だってなぁ……あいつら命令聞かないからな……」
「王様でしょう……しっかりしてくださいな……」
「元だ元。ときどき忘れそうになるが」
「仕事増えてますもんね……。あ、でしたらショコラ陛下に相談させては?」
「いや、ダメだ。聖騎士団の連中は頭もよく回る有能ばかりだからな、気づかないうちに言いくるめられるのはショコラの方だろう」
「一筋縄ではいきませんねぇ……。やはり私から直談判しますか?」
「……実は気になることもあってな。この件は私が直に当たってみよう。期待はしていないがもしかするとこの塩の侵食……奴に関係あるかもしれん」
「奴、と言いますと?」
「切り込み隊長、カリソン卿だ」
強肉弱食
「ルマンドさん、あなたにとって騎士道とは、どのようなものでしょう」
「こいつぁ雨が降るんじゃあねーですかい?あのお気楽のんびりお優しーい殿下のぼっちゃんが、馬鹿に哲学をお聞きなさる。騎士道ってもんがこの俺にあると思いますかい?」
あぁ、茶化しましたよ。なんたって俺は貴族っつーもんが一番嫌いですからね。おべんきょーの時間は昼寝に限る。起こしやがったらぶっ飛ばす。そんくらいよぉ、いくらおたくでも、ちょっと考えりゃわかるもんなんじゃねーの?下らねぇ質問に答えてる暇があったら、小銭でも数えてたいもんでしょ。おたくらの言う、下賎の民っつーもんは所詮そんな奴等ばっかりだ。
「ルマンドさんは、聖騎士ですから」
……それなのにこのガキんちょは、皮肉も受け取らねーときた。どうも噛み合わねーわ。やっぱ頭でごちゃごちゃと思考する凡人の王様の方が、よっぽど話やすい。俺は馬鹿だけど、ここまで間抜けじゃねーですよ。今のが俺に対する侮辱になってるっつーことも、わかってねぇんでしょーねぇ。
聖騎士様、ね。へーへー、念推ししなくともわかってますって。俺はおたくらに負けたんでしょ、徹底的に。だからこんな場所にいる。ようはそういうことですよ。ですからねぇ……
「……騎士道なんてもんは知りませんけどね、弱ぇもんは喰われる。そいつが俺の信念ですよぼっちゃん。そこに罪悪感なんてありますかい?つえぇ奴が生き残る。弱ぇ奴が死ぬんでしょーよ。そりゃ、寝しょんべん垂れの赤んぼうだって知ってますし、俺はそのクソガキ程度のことしか知りませんよ」
弱肉強食って奴だ。どんなに泣き言喚こうが、所詮はそれに尽きちまう。抗えねぇ摂理であり……世間様に虐げられた俺たちの、唯一の美学なんですわ。
そうだろ。勝てば好きに出来るんだぜ。残酷とか言わねーでくれよ、俺たちは産まれながらにお前ら貴族の犬。負け犬だ。好き放題に虐げられる負け犬なんだよ。勝ちとらなきゃ、永遠にな。そいつを教えてくれたのは、他でもねぇ、おたくら貴族のみなさんだ。
その唯一残された俺たちクズの生き方を、残酷だとか言える奴ぁ、世界で一番残酷な野郎だよ。
「わかりました?だから俺みてーなただの賊に、騎士道なんつー立派なもんは……」
「それならルマンドさんは、やっぱりお強いのですね」
「……おい、あんた一体何を聞いてたんです?どうしてそうなる?」
「貴方は生きていますから」
……困った。
こんときの俺は心底困った。冗談抜きで固まっちまった。寒い冗談飛ばされたからじゃあねぇ。その時の殿下の目を見ちまったんだよ。
なんつー、死んだ目をしてやがる。
「───!!おい、あんた……」
「良いお話が出来ました。参考にしたいと思います」
殿下のぼっちゃんは、それで充分だってな感じで背中を向けたよ。その鎧も着てねぇ薄っぺらい服だけの弱そうな背中を、他でもないこの俺に対して向けた。心臓丸出しの位置でだ。
そうだ。おたくも思った通りな、無様でも生き残りゃそいつは強者。どれほど格好つけようが、死んじまえば弱者。
俺はなぁ、ぼっちゃん。弱ぇ仲間を切り捨ててきた頭領だ。あんたらのような大義名分なんてありゃしねぇ、足手まといの仲間を容赦なく捨てた個人主義のならず者なんですぜ。
あんた、罪もなんもねぇ仲間を殺した経験はあるかよ。俺は、それが出来るから生きてこれた。こーやってな。
そういう奴に背中を向けて良いんですかい、なぁ、『貴族様』よ。
俺は、手に持ったナイフを、殿下の背中に向けて───
───床に放り投げた。
「やっぱり、貴方は強い人です」
直感的に感じる。俺は恐らくたった今……弱者にならずに済んだ。
どんな世界で生きてきたのか、あのぼっちゃん……既に死に慣れてやがる。
ありゃ、闇討ち程度じゃ殺せないんでしょーねぇ。ま、一緒にいりゃ俺も死ぬことないわけで。
へーへー、わかってるって。それで充分。俺は満足ですよ、ショコラ殿下。
地獄の中の騎士
「カリソンさん、今日もお手合わせ願えますか?」
無邪気に笑う殿下は、我々聖騎士団においても要となりえる存在だ。このように幼い顔を見せて、その上華奢な体つきで、女性でも振るえるような細く短い剣を使いながらも、豪腕で知られる俺やサクリス卿の剣をいとも容易く捌ききる。包み隠さず白状すれば、我々聖騎士団はこのお方に手加減をされることが我慢ならなかった。
腕自慢の集まりが、なぜ子供などに翻弄される。納得いくはずもない。もしも殿下が王族でなければ、憤慨するは必然だったろう。
「御意に。ショコラ殿下」
俺は貴族として当然の誇りがある。主君には仕えるが正義を感じなければ迷うことなく反逆するだろう。俺の剣が従う者は人ではなく正義だ。故に、赤髪の卑劣な蛮勇などにいつまでも従う気は無かった。
だが、謀反を起こす事は難しい。その理由が目の前にある。この時代は、ある意味力こそが正義だ。認めたくは無いが、最も強き騎士はショコラ殿下をおいて他にない。まだ年端もいかぬその若さで、この百戦錬磨の聖騎士団を何故こうも翻弄できる。
考えなしに突撃するは我が兵法、しかしこのお方にだけはそれは通用しないのだ。
「カリソンさん、ひとつお尋ねしても良いですか?」
「は。なんなりと」
その日、殿下は俺に問う。敵に騎士たる精神はあるのか、と。俺はその問いに、自らの意を答えた。
「騎士道を持たぬ者が戦地に赴くとすれば、その者にはこの世が地獄に思えましょう。運命に逆らうが故に剣を取る。死を前にしたのなら、騎士でなくとも戦いを選ぶ。このカリソンが信ずる騎士道とは、そのような地獄の亡者を産み出さぬよう、民に代わって死に逝く者共を制圧する、殺戮の代行者の精神でございます、殿下」
その回答に殿下は、変わらぬいつもの表情で……そう、すなわち笑顔でお答えくださった。
「そうですか」
その時、俺の感じた殿下の視線は、俺ではなく民に向けたものだと直感した。何故、殿下はそのようなことを聞いたのか。何故、俺の問いを笑顔で受け止めたのか、俺にはわからなかったのだ。
俺は、殿下の思想と対照的であると、常日頃感じていた。向かってくる者は誰であれねじ伏せる、恐怖を敵国に植え付ける、執念の騎士と呼ばれるこの俺の思想だ。いかに自分が傷つこうとも、万人に救いの手を差し伸べる優しき殿下には、俺の考えなど理解できまいと、そう勝手に盲信していた。
ただ、殿下のあの視線が持つ感情は、怒りでも蔑みでも、失望でも無いと俺は感じた。
そうだ。あれはまるで……
今更どんな感情で人を斬るべきなのか悩んでいるような、そんな目をしていた。
誰よりも強くあり、誰からも愛されるべき心を持った、あまりに理想的な存在が、何故我らのような手を汚した者共の騎士道を見定めているのか。
いずれにせよ、俺はその日に理解した。
殿下は恐らく、我々聖騎士団と違い───
───たった一人、地獄の中で戦い続けているのだと。
【アイラヴ祭】きくりのライブ
【沿玉】コーンウォール
大人のいない公園のベンチに座る、胡散臭い帽子の男、コーンウォールは静かに語る。
──さぁ友よ、ご覧なさい。このお話は遠いどこかの物語。懐かしいいつかの物語。あるいは、今ここで生まれた物語。私が読み聞かせるのは、君たちが初めて知る世界の物語だ。
紅い髪の少年が、虫歯を見せて笑う。
──おじさん、そんなのが本当にあった話なわけないよ。だって、この世には悪魔もお化けもいないんだから!耳のとがった人たちも、俺見たことないもん!
コーンウォールは、片目にかけた眼鏡を揺らし、鼻の下の細い髭を撫でて笑った。
──なるほど、君は妖怪や精霊の民を見たことがないという。見たことがないなら存在しない、そう、言いたいのだね。
──そうだ!お父さんもお母さんも、学校の先生だって見たことないに決まってる!だからそんなの、いるはずがないんだ!
コーンウォールは、一枚の絵を胸から出して、得意気な顔でその少年に問う。
──これは、なんだと思うね。君もきっと知っている動物だろう。
──……あ!狼!絶滅した、ワコクオオカミ!
他の少年たちがざわざわと近寄って絵を見る。虫歯の少年は、得意気にみんなに語る。その様子を見て、コーンウォールは少年の髪を撫でた。
──友よ。君はこのオオカミを知っている。だが、私はこのオオカミを見たことがない。はてさて、このオオカミは本当に存在していたのだろうか?
──それは……
虫歯の少年がうつむき、言葉につまって泣きそうな顔をする。ふと、コーンウォールが手を振ると、いつのまにか少年の前にチョコレートが現れた。
──!!どうやったの!?
──これは手品と言うのだよ。なにもないところから何かを出すことが、私にはできる。だが、オオカミを出すことはできない。出し方を知らないからね。
──知ってれば、オオカミも出せるの?
──出せるとも。
虫歯の少年は、目を輝かせて笑顔になった。コーンウォールが少年の赤い髪をひとなですると、ぽんぽん、と手を弾ませて、愉快に語る。
──君は、正しいのだよ。そう、この世界はまだこの世に存在しない。だが、もしも知ることができるならば、この話は現実にあったことになる。『観測』すれば、世界は新しく増えていく。……だが、この国がこの事実を受け入れる為には、もっと理解者が必要なのだ。
子供たちは首をかしげた。難しい言葉が多く、理解が追い付いていないようだ。
──なに、今の言葉は、君たちが大人になればわかること。それは、時間が解決してくれるよ。それよりも、君たちはもっと沢山本を読みなさい。
──本を読んだら、本に描いていることが本当になるの?
──さぁ、それは私にもわからない。だが、君たちが視たいと心に願うのならば心に願った者にだけ、世界は現実になるだろう。
コーンウォールはマントをはためかせると、子供たちにそれぞれ本を手渡して、スーツケースを持ち上げた。
──さ、あれをみたまえ友よ。あの光は、我々が見たことがない世界、すなわち宇宙に浮く星のひとつ。そして、いずれは我々の世界の一つとなる。新たな世界でまた会おう。
──うん!ご本ありがとう、おじさん!……おじさん……?
少年たちが振り向くと、そこにおじさんはいなかった。周りを見ると、少年たちの母親が、世間話をしていたり、サラリーマンが弁当を食べていたりした。
──おじさんは?
──おじさん?お姉さんだろ?
──ちがうよ、大男だった!
──僕は老婆にみえたよ!
皆、口々に違う姿がみえたと言った。性別のみならず、角が生えていた、とか、白目が黒かった、とか、耳が尖っていた、羽が生えていた、など絶対間違えないであろう特徴を言った。
──夢だったのかな……
──でも……
虫歯の少年は、手に持った本とチョコレートを見て、笑顔で答えた。
──コーンウォールはほんとにいるよ。だって僕たち、見たんだもん!
──本に書いてる話も、ほんとかな?
──ある!
赤い髪の少年は虫歯を見せて、大きく笑った。
求めても。
廊下を素足で歩く。ひんやりとした空気が大理石から伝わって、春先のあたたかさを忘れさせる。ここは、どんな季節でも冬のような寂しさがある。こんなに大きなお城の中でたった四人だけの生活だ。明かりも点いていない廊下には、白くもやがかかって見えた。
リビングで待つお城の主、真っ白な雪の肌のメルバ様は、こんなにも寒いお城の中でいつも肌を見せている。手に触れるとすごく冷たいけれど、微かな温もりが確かにあった。妖怪ゆえの脆弱な身体が、命の鼓動を色濃く伝えてくる。凄く弱々しくても、強く、強く生きている。僕から見たメルバ様とは、そういうお方だった。
「珍しく、考え事をしているようね」
いつも二人で朝食をとる。そして、決まってメルバ様から話しかけてくれる。その声は落ち着いていて、朝露のように澄んでいる。メルバ様はパンを一かけ千切り、スープにつけて、そっと口に運んで僕の返答を待った。あたたかいミルクを飲み終えた僕は、会話を続けるように問い直す。いつもの光景だった。
「そのように見えますか?」
もぐもぐと、小さくパンを含んだ口が動き、こくりと静かに喉を通る音が聞こえる。テーブルは二人で使うには大きすぎて、お互いが手を伸ばしても届かない距離だ。飲み込む音は、きっと僕の想像だ。でも微かに聞こえた気がするほどに、この食卓は静かだった。
「聞いてみただけ。悩んでるかどうかを見分けた訳じゃないわ」
またパンを千切り、スープにつけて、一口食べる。あなたが喋る番、と伝えるように、ゆっくりと、味わいながら声を待つ。慌てる必要もなく、考える猶予も残しながら、食事の間も僕を不安にさせないように気遣ってくれる。どれだけ会話の下手な僕でも、たった一言でも聞いてくれるこの態度が、心のそこから安らぎをくれた。
「……鬼ちゃんは、子供の頃はどんな子だったのかなって」
メルバ様はそれを聞いて食器を置いた。少し長いこと、その言葉を考えるために、ややゆっくりとパンを咀嚼する。やがて、考えがまとまったように飲み込むと、一口紅茶を含み口を拭いた。
「それは、本人にしかわからないでしょうね。……でもその問いは、私なら胸にひっそりと仕舞うわ」
今度は少し大きめにパンを千切ったメルバ様は、丁寧に、手を汚さないように、器用にジャムを塗り始めた。自家製のアメジストベリーの、メルバ様が大好きなジャム。たくさん、たくさん盛ってから、まるで子供のように一口で食べた。さっきまでのおしとやかな食べ方と対照的に、大きく頬を膨らませ、とても満足そうにもぐもぐ食べている。僕の返答に思考する時間を与えてくれた証拠で、よく考えなさいと母親のように課題を出したのだろう。他でもない、僕の為に。
「……鬼ちゃんは、昔のことを思い出したくないでしょうか」
考える為に食事の手を止めてしまった僕に、ジャムの瓶を滑らせた。綺麗に僕のお皿の前で止まると、今度は頬に手をあてて、テーブルに肘をついて微笑む。先程までとてもお行儀の良かったメルバ様は、食の進まない僕の為にあえて少しだけ、作法を無視して見せた。その態度までが、僕の目にはとてもおしとやかでかっこよく写った。
「素直に考えてみなさい。あなたが知りたいことは、あの子の過去ではなく、あの子そのもの、なのでしょう」
会話をしながら、ギザギザのナイフでパンをそっと切る。僕もその様子をまねて、厚めにパンを切った。まるでダンスの手解きをうける子供のように、ジャムをつけるところまで真似させられてしまう。すると、目の前のパンがとても美味しそうに見えてきて、気づいたら大きく頬張っていた。その様子をみてメルバ様は満足げに微笑み、紅茶をくちもとに運んで語った。
「相手のことが知りたくなるのは、それも一つの愛情よ。でも、過去はとっても複雑ね。忘れたい過去を持つ者も、戻りたい過去を持つ者も、みんな、思い出すのが辛いのよ」
紅茶を一口飲んでから、僕が下を向く前に、メルバ様は『でも』とすぐに続けた。
「それでも、人は過去から逃げてはいけないわ。どのようなことがあっても、前に進む為にはね」
途端、鬼ちゃんの暗い顔が脳裏に浮かぶ。以前鬼ちゃんは、何度か僕の前で口を紡いだ。嫌な過去を思い出したように見えた。あんなに嫌な顔をする、そんな過去を僕は知りたかった。それは、好奇心ではなくって、単に僕が寂しくなったからだった。
僕は、過去の記憶が無い。思い出すのがとても怖い。それは未知のものだから。今思い出しても、鬼ちゃんたちと一緒に居続けたいって思うからだ。それでももし、僕に鬼ちゃんたちと一緒にいられなくなるような、とっても嫌な過去があったなら、僕は一体どうすれば良いんだろう。……それくらい、同じくらい、鬼ちゃんの過去に嫌な思い出があったなら、鬼ちゃんはどれだけ辛い思いをしているのだろう。
メルバ様は『逃げてはいけない』と言った。僕、あるいは鬼ちゃんは、一体何から逃げようとしているんだろう。甘いアメジストベリーのジャムが考えをぐるぐると刺激して、わからなくなって、僕は答えを探すように顔をあげた。
「求めても良いのよ。本当は何も怖くなんて無いのだから」
メルバ様は、いつの間にか空になった食器をワゴンに乗せて、カラカラと厨房に運んでいった。ひたひたと素足で歩いた白いあとが、音もなく消えていくのを眺めた。焼きたてのパンは冷たくなっていたけれど、ジャムをつけて食べると、僅かにあたたかみを感じた。
また今日も、僕の一日が動き出したような気がした。
【ガォ・ウィーク村】おひさま君、起動
「Code:0130 再起動 シマス 。 設定ノ 更新 ヲ シテクダサイ 。 二度目 ノ 設定 ニハ 初期化 ガ 必要 デス 。 」
「はいなのー!ミジューイやって!」
「はいはいお待ちくださいませ。んー、説明書によりますと、設定ボタンは首元の……これですね」ぽち
「一人称 ヲ 選択 シテクダサイ」
「いちにんしょーってなぁに?」
「私、とか、僕、とか、自分を呼ぶときに使う言葉遣いのことですよ!」
「うーんと、うーんと、男の子なの」
「はい。ショートカットで少年のような可愛いお顔ですね!」
「だから、『ぼく』が良いの!!ぴったりなのー!!」
「かしこまりました!あなたの一人称は『ぼく』です!」
「了解シマシタ 。 ボク ノ 二人称 ヲ 選択 シテクダサイ」
「今度は、皆さんを呼ぶときに使う言葉ですよ!」
「どんなのがあるの?」
「んー……『あなた』とか『きみ』とか、変わったのですと『そなた』や『きでん』とか」
「んーと、んーと、よくわかんないの……ミジューイが決めて!」
「では、『きみ』と呼んでいただきましょうか。男の子ですからね!」
「了解シマシタ 。 キミ ノ 名前 ヲ 設定 シテクダサイ」
「ミコッシュなの!そんちょー!」
「ミジューイです。よろしくお願いします!」
「キミタチ ハ ミコッシュ ト ミジューイ デ マチガイ ナイ デスカ」
「うん!」
「はい!」
「了解 シマシタ 。 初期設定 ヲ 適用 シマシタ 。 使用言語 ヲ 選択 シテクダサイ」
「お待ちくださいね、全国標準モードがこれですから……」
「違いがあるの?」
「恐らくわずかな訛りや口調を合わせているのでしょう。何せ旧型ですから、今より違いがあったのだと思います。現代語パッチというものを搭載して下さったので、恐らくこのままで大丈夫です」
「設定が完了しまシタ。ドウゾ、よろしくお願いシマス」
「あ、ほら、流暢に喋ってくれましたよ村長!」
「すごいのー!!よろしくなの!!」
「よろしくお願いシマス ミコッシュサマ!ミジューイサマ!精一杯 働きたいト思いマス!最初の命令をドウゾ!」
「めーれー?そんなことしないよ?」
「エッ」
「お願いすることはあるかもしれませんけれど、私たちはあなたをこのガォ・ウィーク村にご招待したのですわ。お好きに過ごしていただいてくださいませ!」
「住人が増えたのー!!嬉しいの!!」
「……ア、アノ…… デスがボクはご主人様の命令ヲ受けないト何もすることがアリマセン……。何かお役に立てるコトはアリマセンか?」
「そーなの?」
「んー、確かに説明書にもそう書いてありますね。ではひとまず私たちと過ごしてもらうのはどうでしょう」
「そーね!一緒にお昼寝するのー!」
「オヒルネ……成る程!ボディーガードというコトデスね!お任せクダサイ!」
「違うの!!おひさまくんも一緒に寝るの!!」
「エッ!!」
「今日は天気が良いので、充電もかねてお外でお昼寝しましょうね!」
「チョット待ってクダサイ!その……おひさまクンとは……?」
「おひさまくんはおひさまくんの名前だよ?」
「えぇ、太陽光で活動する初期型のアルファさんですから、村長がおひさま君と名付けました!いかがでしょうか?」
「……ハ、ハイ!トテモ素敵なネーミングデス!アリガトウゴザイマス!」
「それじゃあお昼寝するの!こっちだよー!」
「気に入ってもらえて良かったですね、村長!」
「(……その、ミジューイサマ、一つダケお聞きシテもヨロシイでしょうカ……)」
「大丈夫ですよ?なんでしょう」
「(ボクの敬称が『クン』なのは、コノ村の文化なのでしょうカ……)」
「おや、不思議なことを仰いますね。親しい間柄ですと、女の子なら『ちゃん』、男の子なら『くん』と呼ぶのですよ!」
「オトコノコなら『クン』……」
「そう、ですのでおひさま君はおひさま君なんです。さ、私たちもお昼寝に行きましょう!」
「エッ、ア、ハイ!ただいま参りマス!!」
「……(ボクは……女性型アルファなのデスが……イエ、些細なコトデスネ……)」